ご挨拶
謹啓
日頃御厚情を賜り有難く存じ上げます。
扨て、数年来積み上げてまいりました戦後に於ける下北半島の開発と挫折の歴史を「下北半島独立論」という表題のもとにようやく上梓することが出来ました。
執筆いただいた先生方や議論に加わっていただいた方々、更には様々なかたちで折に触れてアドヴァイスをいただいた方々に心より御礼を申し上げる次第です。
明治の会津を追われた斗南藩以来、大湊を中心としたむつ湾の価値は、我国の港湾の中でもとびきり高いものであったことは、この企画をとおして改めて知ることが出来ました。その潜在的な価値は今日にあってもうすくなることはなく、かえって高まっているとさえいえます。
青森県のおかれている地理的条件は、その当初から県の利益を統一することが出来ずに今日に至っています。とりわけ戦後の県政は、まえがきにも述べましたとおり、民主主義の徹底したことによるせいか、皮相的な利益誘導に終始している現実にあります。これに戦後一貫した左翼運動が加わることで、真の価値が何処にあり、それが何であるのかを失わしめたといえます。
県内にあって人口比率の少ない下北半島は、その住民の消極性と相俟って、その価値を国に施策に躍らせることが十分でなかったともいえます。
原子力関連しかり、原子力船〝むつ〟の始末についても、津軽の住民に主導された結果が今日に至っても尚、尾を引いているといえます。
原子力船〝むつ〟の結末があのようなものでなかったら、当時のむつ市の市長がもっと正しい政治的、経済的判断の出来る人間であったら、そして青森県知事がもっと県政全体の将来を見通せる人材であったれば、むつ湾ももっと充実したものとなっていたであろうし、国防的にも大湊の自衛隊の役割も強く大きなものとなっていたであろうと悔しさを伴い思われてなりません。
東北大地震以後の原発に対する対応しかり、国政が愚かな人間の主導する政権であった不幸を差し引いても、今日に至る状況は余りにも御粗末です。このような状況にあればこそ、青森県いや下北半島の為政者や心ある住民は、真剣にあるべき姿を求めなければならないといえます。
単に傍観者であったり、マスコミに付和雷同したり、無関心であってはならない。諸外国は善意者ではない。お人好しにすぎる戦後の我国は、その知識人と称する人間の無責任な言動と堕落によって、真の国の方向付けが失われてきたのです。
物事の検証を怠ってもきました。
今のことがらを次の時代へ、反省を込めて十二分に調べ検討をつくす。物事に対する利害得失と道理をしっかりと見極める作業が必要ではないでしょうか。
明治の初年、単に外国語が出来るだけの人間に価値はなく、漢学を下敷にした外国語学習でなければならないと言われたようです。時代が下るに従い、漢学―日本語の底流にあるものといっても良い―の素養が失われ、日本人としてのアイデンティティすら失われようとしています。
かつて髙坂京大教授が、このままでは何十年か先、我国は塗炭の苦しみを味わう。そのとき米国の属州になるかも知れない。精神的にはそれもすっきりして良いのかも知れない。唯、我国は苦難な時代に必ず、それまでの人間とは明らかに違う人間が現れ、苦難を脱してきた。おそらくそのいずれかであろうと、独特の京都弁と京都風の言い回しで語られたことを思い出します。
そのようなときが来れば、むつ湾とりわけ大湊周辺が、自衛隊と共に大きな役割を果たすように感じるのは、思い入れがすぎるのでしょうか。
江戸時代末期に生を受けた我国の有為なリーダー達は、大湊の天然の価値を国防だけでなく、国家的見地から大きく広く見出しました。
今日青森県ですら忘れている大湊開港論と開港運動は、その根底に〝真の国富〟とは何かが常に念頭にあったといえます。
この運動によって青森県、とりわけ下北半島は大きな恩恵を受けました。
「下北半島独立論」が上梓された今、大湊開港論と大湊開港運動の意味を、人的な面と事象的な面から掘り下げることに心が駆られます。
会津や薩摩の人々だけでなく、旧幕臣の多くの人々が、相募って大湊開港を目指しました。その先にあったものをとり上げることは、単なる懐古趣味ではなく、今日的、更には将来に向けての何かに役立つように感じます。
この本が下北半島に目を向けていただける一助となれば幸いです。
謹白
平成25年9月吉日
公益財団法人地域開発研究所
理事長 濱 崎 正 明